私のバナナケーキ
今日は、バナナケーキを焼きました。
素焼きのアーモンドをミルにかけ
アーモンドプードルをたっぷり入れて、しっとり。
下にはホワイトチョコを敷いて、甘く。
白砂糖は使わず三温糖で。
家にあったもので作りました。
お菓子の缶に入れて焼いていくと
みんながビックリします。
「え、これに入れて焼いたの?」と。
そうなんです。
これ、とっておくと使える優れもの。
パウンドケーキでも、アップルタタンでも
焼き菓子全般、なんでも大丈夫です。
ゼリーやババロアにだって使えるし
ディズニーなどの可愛い缶で作れば
喜ばれると思います。
この缶を使ったお菓子の作り方は
高校生時代に、好きで買って読んでいた
「JUNIE(ジュニー)」という雑誌に載っていました。
かなり前に、なくなってしまったけど
お菓子作りやソーイングテキストなどがあり
「SO-EN(装苑)」を買い始めるまでの
私の愛読雑誌でした。
ここに出ていたハーフのモデルさんが可愛くて
ジュディやティナが大好きでした。
彼女達は、今何しているのかな。
バナナケーキというと、
私は森村桂さんを思い出します。
ニューカレドニアが舞台の
「天国に一番近い島」を書いた人です。
母の愛読誌「暮らしの手帳」で森村さんを知り、
軽井沢にある、森村さんのお店
「アリスの丘・ティールーム」へ
母は、中学生の私を連れて行ってくれました。
余談ですが、この頃母は色んなところへ私を連れまわしました。
ジョンレノンとオノヨーコが通っていた喫茶店・離山房や万平ホテル、
上田にある水上勉の息子である窪島誠一郎氏の無言館や信濃デッサン館、
窪島さんが、それ以前に開いていた喫茶店にも、連れて行かれました。
今思うと、母の影響力の凄さに関心します。
その頃、もう森村さんは
お店にはあまり出てこない状況で
M・一郎さんが、相手をして下さいました。
その時に頂いたのが
森村さんのバナナケーキでした。
それを見た私は、感銘を受けました。
泡だて器などの道具を使わず
素手(すで)でかき混ぜるのです。
バナナも、ぐちゃぐちゃと手でつぶす。
なんともパワフルで愛情のこもった作り方を見て
「この人に会いたい!」と思ったのでした。
でも、願いは叶わず。
森村さんは、佐久の大きな病院で亡くなりました。
母がショックを受けていた様子を
今でも思い出します。
バナナケーキを焼くときは、森村さんを思い出して
私は、バナナを手でつぶします。
手から愛情が、沢山出ますように。
どんどん美味しくなって、
食べた人が幸せになりますように。
今日は「さくらさくライブ」の会合があり
持ち寄り歓迎という事だったので
それで、バナナケーキを作りました。
嬉しい事に、とても好評で
缶にへばりついたカスも、全部取り除いて
食べてくれる人がいました。
美味しく食べてくれて、みんなありがとう♪
「さくらさくライブ」で、私は
写真撮影担当と、本部で義援金を募る係に。
信州ぷ組の会合と同じように
夜10時過ぎまで会議は続き、
私はヘロヘロ~。
今回は13組出演という、
とても大きなステージになるので
実行委員長のオギタカさんも、
かなりプレッシャーの様子。
実行委員メンバーは、
8時に集合して、夜まで丸一日。
小諸を愛するスタッフのみなさん、
エネルギーありますね~。笑
でも、みんなで力をあわせれば
絶対に、楽しいライブになるはずだから
手を取りあって、がむばりましょう!